オット、禁煙はじめました。
こんにちは、粒です。
また、久しぶりになってしまいました。
なんだかバタバタした日を過ごしていました。というのも、オットが緊急入院、からの病院の先生、看護師さんとバトって翌日無理矢理退院という技を決め、でももちろん体調悪いままっていうドタバタで(^_^;)
病状としては、肺炎と喘息。血中酸素濃度がかなり低くなっていて(確かに本人、息が吸えない。呼吸が苦しいと言っていた。)、それで入院となったのですが、お陰さまで薬で徐々に落ち着いてまいりました。一安心。
で、息が吸えない。と言っていた頃も咳き込みながらもタバコを吸っていたのですが(;_;)
このドタバタのあと、改めて受診した病院の先生に、COPD(慢性閉塞性肺疾患)だからタバコやめないと。と言われたようで、突然灰皿とタバコ類一式をどこかに片付けたのが一昨日。
一日一箱吸っていた人が、禁煙初めて丸2日経ちました。
ほぼ寝ています。
食欲は異常にあります。朝からインスタントラーメン、コンビニのパン、お菓子、昼食も夕食もいつもの倍くらい食べます。
頭が痛い。
めまいがする。
意識が遠のきそう。
生きているのがツライ。
背中が痛い。
などなど、これらはすべてタバコの離脱症状ってやつなんでしょうか?
それとも新しく飲み始めた喘息とかのクスリのせいなのか。
それともタバコと一緒にやめた、睡眠導入剤とかのクスリの離脱症状なのか。
何か下手なことを言ってもイライラされるし、そっとしておきすぎてもダメ。
自分の心を持っていかれないように、ひたすら気持ちを整えることを心がけています。
寄り添うってムズカシイ。
今はオットの頑張りをそっと称賛しながら見守って、期待しすぎないようにしなくては。
しばらく、禁煙ブログを探しまくる日々が続きそうです。
最後までお読み頂きありがとうございました☆
モノ以外の断捨離
こんにちは、粒です。
今日は節分。明日は立春。
そのせいか、今日は外を歩いたら、風もなく何だか春を感じる陽気でした(*^^*)
家にいる時間が長いので、暇さえあれば断捨離、捨て活実行中。
この冬も、今まで思い出があったり、購入したときの金額が高かったから、などという理由で手放せずにいた40代前半頃の服を全てメルカリなどに出品。クローゼットがかなりスッキリして気分も晴れやかです。
娘が全く遊ばなくなったおもちゃにも目星をつけておき、そろそろかなー。というタイミングと機嫌の良いときを見計らって、「あれ、メルカリで売ってみない?」と娘にお伺いを立て、OKが出たら即出品。
売れるのも嬉しいし、梱包も楽しいし、家は片付くし、お金も入るし、フリマアプリって私にとっては最高のものです(*˘︶˘*).。*♡
モノの断捨離には限界がある
とはいえ、いくら捨て活が楽しくても、必要最低限は残さなくてはいけませんし、娘のモノやオットのモノは、いくら汚かろうが、邪魔だろうが、不必要だとしか思えなかろうが、それ多すぎだろっとツッコミを入れたくなるほどだろうが・・・とにかく本人にとって明らかなゴミ以外は一切処分することはできません¯_( ͠° ͟ʖ °͠ )_/¯
なんか必要ないものないのかなー。
と、いつものようにボーッと考えていて、ふと、あぁ、次はモノ以外の断捨離の時期が来ちゃったか。などと思ったような。
で、運動してもちっとも落ちないお腹周りの肉を本当はあっさり処分したかったのですが、いっそ一食やめてしまおう。と、朝ごはんをやめました。
一日三食きっちりと 的神話はどこから来てるんでしょうかね。子供の頃から毎日きっちり三食生活が当たり前で、一人暮らしのときでもしっかり三食食べていました。
結婚して、朝が弱く朝ごはんを食べたがらないオットにも、健康に良くないからと朝ごはんをすすめ、家族3人、しっかり一日三食生活を続けておりました。
が、ふと、私おなかすいてない。と、気づく。お昼まで持たないだろうから、とりあえず食べる。
娘の学校の支度を急かしながら、心ここにあらずのまま何となく食べる。
いや、いらないのかも。
一日二食、楽ちん。
朝ごはんをやめて、ちょうど3ヶ月経ちました。
朝ごはんをやめて困ることってないんですね。
お昼までとても持たないかと思ったけど、お腹の空き具合は食べてた頃とあまり変わりない。朝ごはん食べてても、お腹グーグー鳴るときは鳴るし。
朝ごはんの分までお昼にたくさん食べたくなるってこともない。
お通じタイミングも朝ごはんの後ってわけでもなかったから、別に関係ないし。
朝ごはんを食べない子どもと食べている子どもの集中力や成績の比較グラフとかよく見せられたけど、朝ごはんを食べなくても、今のところ頭も体もエンジンのかかり具合は大差ない。
むしろ、オットも一緒に朝ごはんをやめたので、食費は浮くし、支度も片付けも娘の分だけなのでラクだし、娘が朝ごはんを食べている横でゆったりお茶を飲めるし。
あと、テレビで流行っていた、16時間ダイエットが毎日自動的に出来ていることになる(≧▽≦)
体重も実はちょっとずつ減少傾向。
イイコトだらけ。
小学校からは相変わらず 『一日三食しっかりと』 というプリントが来るし、娘も、ちょっとだけ食べたい。と言うので娘の朝ごはんは継続中。
あたりまえとか常識とか普通って思ってることってたくさんあるけど、あたりまえじゃないのかもしれないって思えたら、世界が広がった。
で、ついでに私の断捨離の世界も広がった。
楽しいかも。
今日も最後までお読み頂きありがとうございました☆
マウスピース効果が!!
こんにちは、粒です。
大掃除もひと段落。
オットと娘は朝からテレビドラマの一挙見三昧。ずっとごろごろお菓子食べながらテレビ見てるんで、いいのかなぁ。と思いつつも、まぁいいか。と自分を納得させています。
結婚して一緒に住むようになってから、自分の常識とオットの常識との違いに、驚いたことはたくさんありますが、そのたびに まぁ、育ってきた環境が違うから当たり前か。と思ってきたのですが、それでも未だに慣れないというかモヤっとしてしまうのがこれですね。
私は3世代の7人家族で育っていて、特に祖父はきちっとした人だったので、行儀や見苦しいことに厳しかった。そのため、私の実家では、居間で寝転がってテレビを見るなんて、あり得ないことでした。
横になるのは寝室だけ。
なので、私は祖父母も両親も、年老いて歩くのが大変になるころまで、寝ている姿を見たことがほとんどありませんでした。
結婚してからはじめて、オットの実家に泊まりに行った日のこと。
オットはおそらく結婚前は彼の定位置だったであろうテレビ前のこたつとソファのところにごろんと横になったきり、食べるとき以外はほとんど動かなかったし、オットのお母さんも動いているとき以外はこたつに入ってゴロゴロ。
私にも再三横になってくつろいでと勧めてくれたのですが。いや、無理(╥﹏╥)
育ってきた環境が違う。
オットはそうやって育ってきたから問題ないけれど、私の中で、娘にそうはなってほしくないという葛藤がある。だから、いつももやっとしてしまう。
でも、そんなオットの姿を生まれてからずっと見ているわけだし、テレビ前のソファでゴロンが定番になってしまっている娘を今更こちら側に引き戻すのはできないのかもしれない。と、あきらめが8割になってきた今日この頃。
さて、今日の本題は、娘の歯科矯正の報告でした。
先日、マイオブレイスのマウスピースを始めたブログを書きました。
日中の1時間と、寝ている間にマウスピースを毎日はめるように指導されているのですが、やはり日中の1時間、というのがなかなかできずに、ほとんど夜の装着のみで約2か月が経過しました。
その間また下の歯が抜けたのですが、全く違和感もないそうで、寝ている間は朝までずっとはめたままで過ごせています。
匂いが気になるときは食器用洗剤で洗うと今のところ問題なし。
で、先日検診に行ったのですが、その時に見せていただいた画像がこちら。
右がマウスピースを始める前の今から3か月前の写真で、
左が現在の写真。
3カ月でこんなに歯って動くんですね。
正直、マウスピースについては、相当な時間をかけて少しずつ緩やかに歯の位置とかが治っていく感じかな。と思っていたので、驚きでした。
目に見えて効果が分かったので、本人のモチベーションもちょっと上がった模様。親子で単純ではありますが、こういうことって大事ですよね。
今は、マウスピースと並行して腹式呼吸のトレーニングも実践中。歯医者さんでもらったトレーニング予定表ではこの先まだいろんな種類のトレーニングが待っているようで、ゴールはまだまだまだまだ先のようです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
どう頑張ったって、孤独なものなのかもしれないな。
こんにちは、粒です。
あっという間に12月です。
いつもの12月は、とにかく慌ただしい。年賀状やら大掃除やらクリスマスやら年末年始のスケジュールやら、気持ちがとにかく慌ただしい。
でも、今年の12月は何だろう。
現実感がなく、心もとなさと浮遊感と、孤独と期待と幸福と。
今日は、先日のブログの続きです。
一つのことに疑問を持ち始めたら、じゃぁ、これは?これはなんで?と、次から次へとおかしいと思えることが表れてくる。
何で、今までおかしいと思わなかったんだろう。
何で、今まで調べようとしなかったんだろう。
例えば最近は、あの有名なお金持ちの社長さんが、宇宙に行ったというニュースのおかげで、また私の中の常識や正しいと思っていたことや、疑いもしなかったことが全く違う姿を現してくる。
月に行くって言ってなかった?
どうして、もう何十年も月に誰も行っていないの?
ほんとに、人は月に降り立ったの?
調べてもほとんどの疑問に対する正解は分からない。たどり着けないのか、正解はないのか。それもわからない。そんなことが多すぎて、心もとなく、不安になる。
今まで、自分は何を教えられてきたのか、何を信じさせられてきたのか。
調べれば調べるほど情報はたくさんつながっていって、その中には知りたくないこと、見たくないこと、信じていいのかわからないもの、悪意を感じるものもある。
つい最近までは、どんなことでも目を背けずに、しっかりとみて、知るべきなんじゃないかと思っていた。
だから、眉間にしわ寄せながら、信じられない。と怒ったり、泣いたりしながらたくさんの情報を読み続けていた。何を信じていったらいいのかと途方に暮れたり、テレビに映るすべてのこと、ネットで流れるたくさんのニュースをほとんど茶番だと。すべて裏があるんじゃないかと疑ってかかったりしていた。
でも、それって疲れる。
その情報に没頭しているときは、嘘も多いし、腹が立つこともたくさんあるし、怖かったり悲しかったりして嵐が吹き荒れているんだけど、ふと自分の今に戻るとおなかは空くし、娘はやたら元気だし、空はきれいだし、私の日常は案外穏やかで幸せだ。
昨日、妊娠している夢を見た。
夢占いとか詳しくないし、私にはスピリチュアル能力が今のところ全く発現していないのだけれども、目が覚めて、
あぁ、私が生まれ変わる時期なんだってことなのかな。ってふと感じた。
だから、常識だと思っていたことが全く常識じゃないってことを私は知ったから、ぐるっと反転したその地に足をしっかりつけて、まぁ、いろいろあるけど、これからは世間の常識っていうものではなく、自分の「こうなんじゃない?」ていう気持ちを軸にしてのらりくらりと進んでいっていいのかな。と思っている。
ここではこんなことを書き連ねているけれど、友達や家族がどういう現実を生きているのか、決定的な断絶を感じるのが怖くて答え合わせができないでいる。だから孤独は常に付きまとう。
でも、自分以外の誰かと結局全部を分かり合えることも、全部に共感できることも、全部の考えを一致することもできないのだから、それでいいのかな。
なんだか哲学的になっちゃった( ´∀` )
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
癌って漢字も響きもインパクトありすぎですよね。
こんにちは、粒です。
今日は、私が育てた謎の物体についてのお話です。
ふと気が付くと、左手の手のひら側の中指第2関節のちょっとしたあたりに、赤い点がありました。
気が付いたときにはまだほんとに小さな点で、「あ、こんなとこに赤いほくろできた。なつかしー。」などと思っていました。
定かではないのですが、50年ちょっとの自分史上で、こんな赤いほくろ的なものができたことが、場所はまちまちでしたが数回あったような記憶もあり。
と言って後から探してみてもすでにどこにもないという。
あ、今日探したら右腕にそれっぽいものが一個あった。
で、私の記憶が確かならば、今まで出来ていた赤いほくろたちはそれ以上大きくなることもなくいつの間にやら消えていたはずで、今回その左手の赤いほくろに気づいたときも特に気にも留めていませんでした。
今、この右腕のほくろを見て思い起こすに、これよりやや赤みが強かったかな。
で、そのまま過ごしていたのですが、そのほくろが少しずつ少しずつ育ち始め、7mm
ほどの赤い水膨れのような状態にまで成長。
つぶして治した方が早いのかなー。とも思いましたが、何とかつぶさずにしぼませて治そうと、それ以降は毎日絆創膏を貼ってガードしていたのですが、
明らかに自分の想像を超えたものに成長していました。
我ながら気持ち悪い。
ついに観念して、皮膚科へ。いつ頃でき始めましたか?の先生の問いに、1~2カ月前だったような。などというアバウトな答え。
何か傷があってできたものですか?と聞かれるも、どうもその記憶がなく、最初にほくろだったようなと答えたのだけど。
どうも、その最初に傷つけたものかどうかが大きな分かれ道のよう。
で、先生の見立てがこちら。
傷から始まっているのなら、化膿性肉芽腫で、良性。切除して治すことが多いけど、場所的に簡単に切除できないため、その場合はほかの大きい病院を紹介することになるとのこと。
液体窒素で凝固させて、様子を見ることもできますよと言われ、そうしていただくことに。
ただ、問題は、そのほかの3つだった場合。いずれも悪性腫瘍 ガンです。
今回の処置できれいに取れてしまえば問題ないけれど、残ってしまう場合は悪性の可能性があるので、その時は切除して検査に出して悪性かどうかの判断が必要とのことで。
あんな小さな赤いほくろがそんなものに育ってしまうなんて。あなどれない。
液体窒素で処置して頂いたできものは、翌日には少し硬くなって
3日目にはしぼんで赤黒いかたまりに
4日目にはからからに乾き
6日目には干からびて
7日目には取れました。
で、喜び勇んで再度受診しましたが、根っこの部分が固く残っていて、これがまた大きくなる可能性があるので、ボロボロになった皮膚を治す薬を塗りながらまだまだ様子を見る必要があるとのこと。
様子を見ながら3週間後
また膨らんでくるような不安。
で、約2か月後の現在がこちら。
皮膚は綺麗に治りましたが、芯のようなものは固く残ったままです。
ぶり返すようなら必ずまた受診するようにと先生には言われていますが、この現状はどれに当てはまるのか。治った?それともこれからまた育つ?
癌 という響きの強さに引きずられそうになりながらも、ここはもう、自分の身体を信じるしかないなー。という心境にいるこの頃。50歳も過ぎているわけだし、そろそろ身体の内側から変えていく必要があるよって教えてくれているのかもしれません。
皆さんも、赤いホクロ🔴が出来ていたら、要観察で。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
ついにmyobrace始まりました。
こんにちは、粒です。
今日は、久々の娘の歯科矯正進捗状況です。
上下の矯正器具を外し1年ちょっと。
その間、ほぼ毎月1回の通院で、歯の生え代わり状況を確認してもらったり、検診、歯磨き指導を受けたりしながら次の器具はまだかまだかと親子で待ち構えておりました。
そして、ついに先日次の段階へと進んだのです。
それがこちら
myobrace(マイオブレイス)
思い起こせば2年半ほど前、娘の歯科矯正をそのころ通っていた歯科医院で強く勧められ、マイオブレイス矯正とはなんだ?と必死で調べたり、友達に聞きまくったり悩みに悩んだワードです。その歯科医院はマイオブレイス矯正をやっているところだったのですが、結局今通っているところに決めたんだったよなー。と懐かしく思い出す。
その当時のブログがこちらです。
あれから2年半。
マイオブレイス矯正の歯科医院で矯正をしたお友達は、大体2年くらいで終わるということだったので、もしかしたらもう終わっているのかも。
そのお友達は途中、顎関節症になってしまったと聞いたりしていたので、その後の経過は知らないままに。
で、その渡されたマウスピースを見た私の印象は、
「え?でかっ!!」
でございました。私自身、歯の食いしばりに悩まされた時期があり、その当時2年ほど毎晩歯科医院で作ってもらったマウスピースをして寝ておりました。
慣れるまでは2、3日かかったものの、なれたらそれほど違和感もなく毎晩はめて眠ることができたので、娘がマウスピースをすることにそれほど心配はしなかったのですが、いや、でかい。私がしていたものよりもかなりでかくてごつい。
写真ではピンとこないかと思いますが、はめてみると一目瞭然。ググっと口部分が前に出てしまい、ゴリラ顔に。
これを日中起きている間は1時間。寝ている間はずっと毎日はめるとのこと。
苦しそうで、見ているこちらが不安になります。
しかし、親の心配をよそに、1日目の夜は眠ってから3時間もするともぞもぞと起きだして外してしまっていましたが、2日目は明け方までそのまま、3日目からは普通に朝まではめたまま眠ることに成功。子供の順応する能力の高さといったら、目を見張ります。いや、こちらが思うほど苦しくもないのかな?
日中の1時間は話をしてはいけない、というかはめてしまうと話をすることもできません。小学3年生がおとなしく話もせずに確保できる1時間というのは、帰宅後、夕食入浴、宿題を済ませてから寝るまでの間のわずかな時間のみ。結局、1時間はめて、歯磨きしてまたすぐはめて寝るという感じに。
マウスピースをはめるようになって2週間
ありがたいことに、嫌がることも忘れることもなく毎日続いています。
この2週間の間に乳歯が2本も抜けましたが、特に問題もなく過ごせているよう。
乳歯が少なくなって大人の歯が全部生えそろう頃、どんな歯並びになっているのかな。
楽しみです。
最後までお読み頂きありがとうございました☆
私の現実は本当に存在しているのか
こんにちは、粒です。
今日は、とりとめのないことを書きます。
現実感がなく、あまりにも頼りない、この日常を言葉に残しておかないと、いつか大切なことを見失ってしまうのではないかと不安に思うから。
私の現実は、それほど変わりなく毎日淡々と過ぎていきます。
楽しいこともうれしいことも幸せなこともあります。
オットは未だに無職ですが、娘は毎日元気に学校に通っているし、家族3人仲良しです。
今までは、オットの見ている毎日と、娘の見ている毎日と、自分の見ている毎日は同じようにそこに存在し、同じように流れて思い出になっているのだと思っていました。
というか、それは当たり前のことだと思っていて、それを疑うことなど全くなかった。それについて考えることすらなかった。
でも、今は違うように感じています。
同じ空間に一緒に存在しているはずなのに、見えている景色が全く違うんじゃないかと。
見えている世界が全く違うんじゃないかと。
私とオットのとりあえずの方向性は同じだということが分かっていたので、それ以上の議論をすることはなかったし、あえて深く話をしないままやってきましたが、それでも一度、あれ?と違和感を覚えたら、一緒に過ごしているはずの空間が一気にぱらぱらぱらっとめくれて反転していくような感覚が。
すると、私の現実世界は私だけのものになってしまいました。
孤独。
私が見るスマホの画面には、私がよりどころとする現実や、私が共感できる人や、私が目を背けてはいけないと思う世界が、毎日たくさん出てきますが、オットのスマホの画面には、それらは一切挙がってきません。
こちらから手に入れに行かない限り、向こうからは親切にやってきてくれません。
なので、あの時点では同じ方向を見ていたはずの私とオットの歩いている世界は、ところどころでは交わっているものの、今は違う情報によって成り立っている違う世界になっているようです。
そして、テレビのニュース情報を私に教えてくれる人の見ている世界には、私が考える心配や不安の要素は全く存在していません。
あれ?
私が考えている現実は、私の頭の中だけの出来事なのでしょうか。
50年以上生きてきて、いろいろなことがもちろんあって泣いたり落ち込んだり、山あり谷ありの毎日だけど、それでもこれから先も同じように生きていけるんだと思っていた。
私の娘も、同じように泣いたり落ち込んだりもしながら、幸せに大人になっていくのだと信じていた。
その根底が揺らぐようなことがあるなんて思いもしなかった。
それでも私は、これだけはブレることなく握りしめてもっていくと誓う。
自分たちがそうして守られて大人になることができたように、私たち大人は子供たちの未来を守る責任があると思う。
だから、私は子供を守るために、今ここ一瞬一瞬に、最善の選択をしていきたい。
周りにどう思われようとも。
孤独でも。